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浜松チェスサークル代表交代のご挨拶



題名:浜松チェスサークル代表交代のご挨拶

本文

余談

掲載日:2011年3月6日
著者:浜松チェスサークル元代表 鈴木陽介
発行:浜松チェスサークル


浜松チェスサークルにおける代表交代のご挨拶(本文)

浜松チェスサークル元代表の鈴木陽介は、2008年10月の浜松チェスサークルの立ち上げ以来、この2月末まで約2年半に渡り、
当サークルの代表を務めて参りました。そしてこの度、仕事で中国へ海外駐在となった為、代表を辞することとなりました。
 
従いまして、当月より副代表の秋永利明さんが新たに浜松チェスサークルの代表に就任されたことをここに報告致します。
なお、同じく副代表の白井健太郎さんはそのまま留任致します。
元代表の鈴木は、今後は会計兼HP管理人として今後もクラブ運営を遠くからサポート致します。

浜松チェスサークル(以下HCC)ができるまでの元代表鈴木は、一介の流浪の棋士でした。
要するに、単に遠征好きな、単にチェスを指しているだけの単なるチェスプレイヤーでした。

以下ちょっと真面目な話になりますが、HCCを立ち上げて以来、プライベート(特にチェス)でも仕事でも「縁」ということに
非常に敏感になっています。

私の中ではただの噂の人だった渡辺暁さんとお知り合いになれたのも縁ですが、
バブーリンさんをHCCに呼べたのもその縁のお陰です。そして、HCCが世界にデビュー?!することもできました(笑)。

HCCが無くならないのも秋永さんとの縁のお陰で、その縁もHCC立ち上げを知った小笠さんから紹介してもらったお陰です。

久保寺さんと初めて会ったのは、小笠さんが立ち上げた静岡チェスサークルの例会でのことでありましたし、
白井さんも代表が小笠さんから交代した後に静岡チェスサークルの例会に参加したことがあると聞いています。

この様な縁や、藤澤さんに半ばそそのかされて(冗談ですが)HCCを立ち上げた元代表の鈴木ですが、
藤澤さんと本格的に仲良くなったのはHCCができてからです。それまでは、とっつきにくい奴だと思われていたらしいです(笑)。

白井さんやヒメナさん、提後君やその他のメンバーとの縁もHCCのお陰ですし,、高安さんや倍井さんともHCCができてから
より一層仲良くなったような気がします。

上記以外にも、HCCのお陰で今までと同じように遠征をしても、今まで以上にいろんな方から声をかけられるようになり、
多くの方々との交流が深まってより充実した棋士生活が送れるようになりました。

いずにしても、この2年半、私のワガママに付き合って頂きありがとうございました。
次期代表の秋永さんは、名古屋チェスクラブ代表の堀江さんと同じくしっかりした方ですので、今まで以上にしっかりと
HCCを運営してくれると思います。みなさんもこれまで以上にHCCをよろしくお願い致します。

2011年3月6日
浜松チェスサークル元代表 鈴木陽介


浜松チェスサークルにおける代表交代のご挨拶(余談)

と、まぁお堅い話しはこれくらいにして(笑)、以下長々と余談を書き連ねたいと思います。
最後ですので、皆さまどうぞお付き合いください。


その1.代表交代経緯

まずは、私の中国駐在と浜松チェスサークルとの関係についてお話したいと思います。

昨年(2010年)の8月1日、浜松大学内における極秘合宿において浜松チームが発足したことはご存じだと思いますが、
まさに立ち上げた直後のその週、自分が勤めている会社が中国で新たな事業所を本気で立ち上げようとしていることを知りました。

実は去年の春頃から噂には上がっていましたが、その後一向に進展する気配がなかったため、半分冗談というか、仮にそうなったと
してももっと先の話だろうと油断していました。いずれにしても、海外で新規立ち上げとなった場合は私が行く可能性が高いということ
は、以前からほのめかされており、不安と期待が入り混じった何とも言えない気持ちになると同時に、これは何としてもチーム選手権
に大将として自ら出場し、納得のいく結果を残そうという気持ちがより一層強まりました。

本来なら、この時点でチームメンバーに報告するべきだったかもしれませんが、8月第1週のこの時点では私が駐在となる可能性は
まだ半々といった状態、つまり未確定な状態であり、せっかくチーム選手権へ向けて意気が上がっているところに水を差すのもどうかな
と思い、チームメンバーへの動揺を避けるため、とりあえず9月のチーム選手権が終わるまで黙っておこうと思いました。

そして、9月19・20両日の第10回全日本チーム選手権には、奇跡的に6人全員が参加でき、チームとして3.5pt獲得とまずまずの
結果を残すことができました。
実は、この時も忙しくてとても休める状況ではなかったんですが、この時の私はレーティング上大将を務めざるをえず、それ以前に
チームの代表ですので、出ないという選択肢はあり得ません。少なくとも、私が出場するのとしないのとでは印象が全然違ってきます。
しかも、私にとってはこれが最後のチーム選手権になる可能性があったため、他のことは黙殺してとにかく強行出場しました。
実はこの後1ヶ月くらいヤバかったです(笑)。

そんなこともあり、大会本番はたった4局の参加でしたが久々に真剣に指した(これはある意味暴言ですが(笑))ような気がします。
浜松チェスサークル外部監査役の神田さん(勝手に就任)や同外部特派員の三村さん(左に同じ)とも、これを機に今まで以上に
仲良くなることができました。

さて、チーム選手権も終わりました。
次にやることは、いつ駐在の件を言い出すかということです。ただ、9月末になっても依然として確定していません。
ところが、そんな浜松チェスサークル元代表の鈴木には、心強い味方がいます。同相談役(当初より勝手に就任)の高安さんです。
表向きは、久々に大阪アンパサンチェスクラブへ行くということにし、東京でジャパンオープンが開かれている中の10月9・10日
の両日に大阪へ行ってきました。

あいにく高安さんは10日の日曜日は参加できないとのことで、それならと代表の辻本さんにお願いして土曜日の夕方に
高安さんと一局対局させてもらいました。その後3人で軽く食事へ行き、その時に初めて他人にこの件を話しました。
お二人からの言葉は良く覚えていませんが、、少なくとも残念だけど仕方が無いということで一致。
ただ、私の判断でもう少し様子を見ることにしました。

翌日の例会での3局目(最終局)、元HCC代表の鈴木は、白番でアンパサン代表の辻本さんと対局です。
今思えば、OTBチェスを始めた当初(この当時は尾張在住)、名古屋チェスクラブへ行くことはもちろんですが、
それ以上にこの大阪アンパサンチェスクラブへ通っていた時期がありました。
連敗に連敗を重ねて苦しかった時に、今回と同じ白番で辻本さんと対局し、まぐれ勝ちしたことは大きな自信になりました。
その時のことを辻本さんに話す度に「鈴木君がそれでチェスを続ける気になったんなら良かった。」と言ってくれました。

局後の検討では、一貫して白勝勢で、無難な手を指し続けていれば難なく勝ちだったらしいのですが、
白が色気を出した結果、ルークをサクッと取られて終了(悲)。小生どうも疲れるとピンを見落とす癖があります。

ということで、この日、OTBチェスにハマるキッカケとなった人に引導を渡されて以来、レーティングゲームをやっておりません。
その一番の理由は多忙であって、負けたこと自体は余り関係はありませんが、良い機会なので一から出直したいと思います。

その後は忙しくて中々チェスができませんでした。一緒にチーム選手権を闘ったメンバーともその後は会えず、
例会の開催も怪しい状況になりましたが、そんな中12月12日に開催したの浜松チェス祭り2010の打ち上げでの話。

秋永さん曰く、「チーム選手権の直前は他を犠牲してチェスに没頭したからその後に当然しわ寄せが来る。」というような
ことをおっしゃっていました。これについては、私は十分過ぎるほど理解できますし、これは社会人としての宿命でしょう。

そして、倍井さんから元代表鈴木へ対しては、「(チーム選手権では)全敗すると思っていた。松戸でボロボロだったからね。」
と率直な感想を頂きました。確かにドローだけで1勝もできなかった松戸の大会の時点では、1ヶ月後のチーム選手権では
役に立たないと思われても仕方がありません。

ただ、こういうことは何度も経験しています。私の場合、やはりチェス勘を取り戻すまでには最低でも1ヶ月はかかるのです。
だから、レーティングとか小さなことを気にしないで、松戸・名古屋・浜松とチーム選手権まで毎週大会へ出続けてひたすら
打ちのめされながらもウォーミングアップを続けました。
結果、「(直前はボロボロだったが)本番ではちゃんと責任を果たした。(倍井さん談)」(1勝1敗2引き分けのイーブン)
と、お褒めのお言葉を頂きました(笑)。

ウォーミングアップが功を奏したというのは当然ありますが、この男、元来がいい加減な性格なのか、責任を負わされて追い詰め
られると開き直って底力を発揮するタイプの様です。以前参加した2009年の九州チェス祭りの際にも、何故か全国混成の
トップボードに座る羽目になりましたが、1勝1敗1引き分けのイーブンと、この時もそれなりの結果を出すことができました。

んっ?待てよ。ということは、普段のレーティングゲームはよっぽどいい加減に指しているということか・・・
決して、決してそんなことはありません(汗)。
この辺も修業期間中に矯正したいと思います。(多分無理でしょうけど(笑))

この時も、倍井さんと秋永さんには例の件を話しましたが、あくまで「仕事の都合で来年から遠くへ行く可能性がある」という程度に
留めておきました。そして、頼みの秋永さんもお仕事の都合で転勤になる可能性があるということを知り、HCC存続へ向けての道筋に、
並々ならぬ暗雲が立ち込めていました。

翌週の12月19日。元代表鈴木は別の用で名古屋へ行き、そのまま帰るのもシャクなので、ブリッツだけでも
参加しようと名古屋CCの例会に顔を出しました。確か藤澤さんと将照さんとブリッツをやりました。
ちなみに、2010年10月31日の過去録に
>岩手出身で6年間ネットチェスだけで潜伏し、去年名古屋で鮮烈にデビューした鈴木将照さんとはお知り合いだそうです。
と、この10/31に初めて参加した鈴木さんの話として紹介しましたが、将照さんの話では全く面識ないとのことです。
どさくさにまぎれて訂正致します(笑)。

この日の例会終了後、せっかくだからとGCF代表の藤澤さんとNCC代表の堀江さん、それにHCC元代表(この時点ではまだ代表)
の鈴木の3人で喫茶店へ行きました。なんと、期せずして東海連合サミットとなりました。
そして、せっかくの機会なので、この時も来年から遠くへ行ってしまうかもしれないという感じでお二人に例の件を話しました。
堀江さんの悲しそうな顔が未だに忘れられません。藤澤さんの「東海オリンピアード構想」もこれで一歩後退となってしまいました。
(この時点では秋永さんの転勤のこともあり、HCCは無くなる公算が大きかった為)

そして、まさにその週、年明けからの中国出張を皮切りに、本格的に駐在となることを知らされるのでした。
翌年、つまり今年1月4日の新年ブリッツ大会で秋永さんにもその旨を報告しましたが、幸いにも秋永さんの方は転勤の可能性が
無くなったとのことで、快く次期代表就任を引き受けてくれました。そして、晴れてHCCの存続が確定した次第であります。


その2.HCCチームメンバーを中心に余談

まずは、高安さん。
静岡県選手権2011前日、昼食後に碁会所へ移動中の車内での話。
(以下、会話の中身は大体こんなこと言っていたなというイメージ)

「鈴木君もせっかく中国へ行くんだからシャンチー(象棋、xiangqi)をやったらいいよ。(高安さん談)」
「いやいや、もうこれ以上手を広げるつもりはありませんよ。(元代表鈴木談)。」
「けど僕はシャンチ―をちょっとかじったことがあるけど、これはこれでチェスにとって必ずプラスになると思うよ(高安さん談)。」
「でもチェスに囲碁にシャンチ―までやるとなると、全部中途半端になっちゃいますよ。(元代表鈴木談)」
「でも、チェスよりシャンチ―の方がやる機会が多いだろうし、シャンチ―で培った人脈は向こうで必ず役に立つと思うよ。(高安さん談)」
「んー、確かにそうかもしれませんね。(元代表鈴木)」
「君が囲碁をやると言いだした時も言ったけど、将棋をやると言うのなら(チェスにプラスになるという意味では他よりは効果が少ないから)
余り勧める気はないけど、せっかく中国へ行くんだし、暫くシャンチーに没頭してみるのもいいんじゃない?(高安さん)」
「そうですね。シャンチ―は競技人口も多いですしね。わかりました。向こうに行ったら一度シャンチーにハマってみます。(元代表鈴木)」

かくして、高安さんの巧みな話術にかかり、中国でシャンチ―をやることを約束させられてしまいました(笑)。やれやれです

例の藤澤さんとの間のトリエステ事件(何か歴史的事件みたいですが(笑))の時と同様、気づいた時には後の祭り。
まったくこの二人はやり手の商社マンの様に人を動かすのが上手です。・・・いや、きっとこっちが単純なだけでしょう(笑)。
この日、高安さんにまんまと乗せられた元代表鈴木は、社会人レーティングはまだ1500にも満たないことを痛感したのでした。

かくして、社会人レーティングがマスタークラスの藤澤さんと高安さんにドロー(適当にあしらうこと)すら取れずに惨敗し、
仕方なく余計な仕事をやる羽目になった流浪の棋士は、(いつ中国語を勉強するんだ)と思いながら旅立つのでした。


次は、倍井さん。
静岡県選手権2011当日、大会終了後の片づけ時の話。。
(以下、会話の中身は大体こんなこと言っていたなというイメージ)

「今年のチーム選手権は出るの?(倍井さん談)」
「いやいや、僕は流石に中国からは来れないですよ。(元代表鈴木談)」
「そうじゃなくて、チーム東海道として参加するの?(倍井さん談)」
(あぁそういう意味か)ということで、傍にいた秋永さんと白井さんに聞きましたが、何だか歯切れが悪い様子。
「まぁでも、去年も最初はこんな感じでしたから恐らく出場するでしょう。(元代表鈴木)」
と、もはや全く関係ない元代表鈴木が勝手に約束してしまいました(笑)。

その後、いつも通りご自身の棋譜をPGN化して送ってくれた時の倍井さんからのメールの抜粋。

>静岡選手権は、予想以上に盛り上がったので、鈴木さんも心残りはないでしょう。
>僕は、暁さんに人生の厳しさを教えてもらえずに残念。
>チーム選手権までには、トップボードに座れるように精進します。
>PS 浜松には、夏の18切符期間には、行きたいと思います。

倍井さんの内に秘めた決意を感じます。
2月27日に秘密の引き継ぎ例会を開催したことは、このリポートを読んでいる方はもうご存じだと思いますが、
「夏に来る」ことと「チーム選手権で大将を務める」ことを宣言している倍井さんに対して、元代表鈴木はあるプレゼントを用意しました。

  
最後に3人で遊んだ「軍人将棋」

この日、封印した一冊の封筒を秋永さんへ渡しました。中身は秋永さんがCTスキャンにでもかけない限り恐らくわからないでしょう(笑)。
何が入っているかは、今年の夏までのお楽しみ。まぁあえて言うなら、旧大将から新大将へ大将旗を渡したというところでしょうか。
かくして、今度は倍井さんが他のチームのトップボードのお歴々に対して、必ずや人生の厳しさを教えてくれるであろうことを
強く予感しつつ、流浪の棋士は旅立つのでした。


続いて、久保寺さん
元代表鈴木が浜松チェスサークルを立ち上げた当初の話。

元代表鈴木は、予想よりも早くある程度のメンバーが集まったことに気を良くし、すぐにも日本チェス協会の登録サークルにしようと
画策していました。最大の理由は、チェスの上達にはレーティングという目標が必要だからです。

もちろん、当初から初心者から上級者まで様々なレベルのプレイヤ―がいるチェスクラブにしたいと思っていましたが、
上達を目指すとなると必ず目標が必要になります。その目標として、JCAレートはとても便利です。

ところが、元JCA会員でありながらも随分とチェスから離れている秋永さんや、経験のない白井さんには最初はほとんど理解して
もらえませんでした。一方、JCA会員である久保寺さんだけは、当初から一貫して賛成してくれ、翌年の春に秋永さと白井さんを
口説いて登録に至る際にも一緒になってメンバーに名を連ねてくれました。

サークル登録には最低4名が必要(特例措置はありますが)ですから、私も含めてこの4名の誰ひとりが欠けていてもその後の
大規模な大会や選手権予選の開催は無かったと思います。もちろん、協会に登録されることや、大会だけがすべてではありません。
けれどもやはり、物事にはある程度の刺激が必要ですので、たまには大会等で盛り上げなければ、とっくに無くなっていた可能性が
高いと思います。

わずか2年半という短い間でしたが、全国大会の予選を2回開催し、チーム戦に1回参加したお陰で、日本チェス界にも随分と
周知されてきたと確信しています。ここまで来ると、将来サークルが危機に陥っても潰れるのは可哀想だなという人情が集まると
思いますので(笑)、名古屋チェスクラブと共に、今まで以上に相乗効果で盛り上がってもらえたらと思います。

かくして、久保寺さんがまた浜松チームのエースとして戻ってきてくれることを期待しつつ、流浪の棋士は旅立つのでした。


そして、秋永さん
元代表鈴木としては、当初から仮に代表が交代するとなった場合は秋永さんしかいないと思っていました。
ただ、運営をすることに関して余り気が進まないような印象を受けました。
確かに面倒臭いですし、せっかくの休みだからプレーだけしたいというのは当然です。ご本人がそう思っていたかどうかは別ですが、
これは、ほとんどのチェスプレイヤーが思うことであり、当然のことです。ただ、主催したらしたでまた別の楽しみがあるんですが、
こればかりは口ではうまく説明できません。

いずれにしても、大会運営に関してはイマイチ判然としなかった秋永さんですが、チーム選手権が終わった直後の例会の時に、
チェス960やバグハウスの大会をやれたらおもしろいねというこで意気投合しました。ただ、チェス960の細かな知識が不足している
元代表鈴木はそのことを心配しましたが、その辺の説明は秋永さんが担当することを買って出てくれましたので、
年末か新年にやろうということになり、結局年末に開催しました。

前々から秋永さんなら元代表鈴木以上にしっかり運営してくれると思っていましたが、この大会での説明を聞き、運営のやり方を見て
それが確信に変わりました。かくして、安心して次期代表にクラブ運営をまかせて旅立つ流浪の棋士でした。


最後は、白井さん。
(本人は否定していますが)チェスについてとても勉強熱心な白井さん、元代表鈴木もチェスに関して多くのことを教えて頂きました。
また、闘志を内に秘めるタイプが多い日本チェス界にとって、元気な白井さんは非常に貴重な存在です。
これからも浜松チェスサークルを始めとして、日本チェス界に話題を振りまいてくれることは間違いありません。

ちょっと、話はそれますが、「静岡県選手権2011開催リポート」の本編(著者私)では神田さんが熱心に校正してくれました。
何度もメールのやり取りをしましたが、ある日のメールにおいて(以下抜粋)

>大会の楽しさがよみがえり、また、裏話も興味深いことばかりで読み応えのあるレポートでした。
>次は、九月のチーム選手権レポートですね。また楽しみにしています
>・・・と、鈴木さんの一時帰国の大会参加を既成事実化(笑)

ところが、元代表鈴木はこの件だけは完全に無視(笑)。
いや、今お答えします。私の代わりに白井さんを派遣します(笑)。
白井さんなら、なんだかんだ言っても率先して参加者を集めたり盛り上げたりしてくれるでしょう。
でも今度は犬に絡まれなようにね(笑)。

みとじんさんの華麗なセンタリングを見事にスルーパスした流浪の棋士は、その先に詰めている白井さんが、
この間のアジアカップの決勝並みのボレーシュートを決めてくれるであろうと、この素浪人の代わりに今度こそ三河武士としての
本領を発揮して、松戸衆と白騎士衆を成敗してくれるであろと、そんなことを無邪気に期待しつつ旅立つのでした。


その3.今後について

以下は、2月27日の引き継ぎ例会での話。

新代表の秋永さん曰く、「(高安さんから要請があったこともあり)新年の静岡県選手権と9月のチーム選手権くらいはやりたい。」
と言ってました。それとは別に、秋に非公式の快速選手権みたいなのもやりたいと言っていました。
ぜひ期待しましょう。と、言いたいところですが、これに関しては私も経験があります。

クラブができた当初は夢が膨らみ過ぎで、2ヶ月に1回位のペースでイベントを企画したりもしましたが、現実には3ヶ月に1回でも
結構大変でした。今年初めの秋永さんの話では、
「(せっかくできたチェスクラブだから)忘れられない程度に続けて行きたい。」
と言っていましたので、最初はそのくらいの意気込みで十分かなと思います。マラソンと一緒で、最初から飛ばす直ぐにバテますからね。
いずれにしても余り期待し過ぎでプレッシャーをかけないようにしましょう。まぁここに書いている時点で手遅れですが(笑)。

何はともあれ、暫くは秋永さんも名古屋の例会や大会に参加して堀江さんとも緊密に連絡を取り合う予定だそうです。
「遠州と三河は(400年前と同様に)暫く尾張の属国になります。(秋永さん談)」とのことです。
しかし、そこは外国人の多い浜松と豊橋です。
「いずれ(フランス軍の如く)外人部隊を結成して(宗主国である)尾張に謀反を起こします。(秋永さん談)」
と、自ら名古屋の支配下に下ることを宣言した次期浜松代表の秋永さん。

なんか、うまいことまとめていますが(笑)、そんな言葉とは裏腹に水面下で恐ろしい企てが進行中です。
果たして、名古屋四天王と濃尾若手三人衆(将照さん・高田さん・木下さん)はこの脅威に耐えて、無事謀反を鎮圧することが
できるのでしょうか。


また、静岡県選手権2011終了直後の情報では、名古屋チェスクラブは、今年のチーム選手権に参加する決意を固めたようです。
メンバーはまだ未定とのことですが、昨年浜松チェスサークルがチーム選手権に参加したことに触発され(多分、いやきっとそうです)
たことは間違いないでしょう。チェスの輪は確実に広がっています。

ということで、今年のチーム選手権の最大の見ものは、織田・徳川連合軍VS浅井・朝倉連合軍の姉川の合戦ならぬ、
名古屋・浜松連合軍VS松戸・仙台の白備え連合軍の隅田川の合戦?になることは間違いありません。
決着は両連合軍の総獲得ポイントで決まるといったところでしょうか。勝敗は如何に!

かくして、流浪の棋士は隅田川の合戦には参加しませんが(笑)、今から観戦を楽しみにしつつ旅立つのでした。

おわり

P.S.
ちなみに私の次回渡航日は3月8日です。もうすぐ出発ですが今回は直ぐ帰ってきます。
しばらくは行ったり来たりを繰り返しつつ、本格的に駐在となる予定です


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